Last updated: April 19, 2001

『通訳・翻訳ジャーナル』 2001年7月号月号 (pp. 90-91)

日本通訳学会特別企画
通訳の世界を広げる
現代通詞考

第3回 推論モデルから見た通訳

船山 仲他 (ふなやま ちゅうた)
大阪府立大学総合科学部教授
日本通訳学会副会長
 

通訳・翻訳はコードの変換か?
外国語に堪能であっても「通訳ができる」とは限らない、と言われることがあります。どうすれば「通訳ができる」ようになるのですか、というような問いを聞くことがあります。一体、「通訳ができる」とはどういうことなのでしょうか。ここでは、言語理解のプロセスに含まれる「推論」という側面を考えることによって、どうなれば「通訳ができる」と実感できるのか、ということを考えてみましょう。
 
話を簡単にするために、いま、誰かがA語で"XYZ"と発話したとします。これをB語に訳すと"xyz"になるとします。XとかxはそれぞれA語、B語の単語と考えればいいでしょう。このとき、もしあなたがYという単語を知らなかったなら、あなたは発話"XYZ"を通訳することはできないでしょうか。この問いには次のように答えましょう:「通訳できる」とも、「できない」とも言える。それはどういう意味かと言えば、通訳という作業は、単語の置き換えという作業ではない、ということです。つまり、Yという単語を知っているかどうか、ということと、話を伝えることは別な種類の事柄である、ということです。ですから、Yという単語を知っていても話は伝わらないかもしれないし、知らなくても話が伝わるかもしれないのです。
 
このことを説明するのに、「コードモデル」と「推論モデル」という二つの捉え方を比べてみましょう。A語の発話"XYZ"をB語の"xyz"に訳せるのは、"XYZ"がある内容をコード化(符号化)していて、B語の"xyz"はちょうど同じ内容を別のコード(言語B)で表している、と考えるのがコードモデルです。この考え方でいくと、通訳や翻訳は、コードの変換という捉え方ができます。これはわかりやすい捉え方で、通訳のプロセスの説明にも使われます。原発言者と聴衆が同じコードを共有していないとき、つまり、別の言語を話すとき、両方のコードを知っている通訳者が間に入ってコードを変換する、というような説明です。しかし、人間のコミュニケーションをもう少し深く観察してみると、これだけではないようです。「推論」と呼べるような側面が結構大きな役割を果たしています。推論にはいろいろな種類が考えられますが、わかりやすい例を2,3挙げてみましょう。

聞き手は自分の推論によって
解釈しているもの

われわれが人の話を聞いているとき、聞こえてくる言語表現だけを頼りに理解しているわけではなさそうです。たとえば、誰かが「吉田さんが日本の大統領だったとき、・・・」と言ったときに、あなたは「『大統領』というのは『首相』のことだろう」と勝手に修正したりします。なぜそのようなことができるのでしょうか。もし、「吉田さんが大統領だったとき、・・・」という表現だけを頼りにその発話を理解しているのならば、そんな勝手なことはできないはずです。聞き手は全く白紙で他人の話を聞いているのではなく、自分の力で話を組み立てているのです。
 
別の例を考えてみましょう。たとえば、誰かが、Mike has bought the New York Times. という文を発したとします。あなたはこれをどう理解しますか。この文の意味は曖昧です。マイクが売店で新聞を買った、という話かもしれませんし、大富豪のマイクが新聞社を買収した、という話かもしれません。しかし、実際の場面ではこのような曖昧さは感じないものです。たとえば、誰がどういう新聞を読んでいるか、というような話をしているときにこの発話がなされたら、誰もThe New York Timesという新聞社のことを思い浮かべたりはしないでしょう。聞き手は自分で解釈を決めているわけです。The New York Timesという言語表現は確かに話し手から聞き手に物理的に伝わっているのですが、解釈も一緒に伝わっているわけではないのです。解釈は聞き手が行っているのです。話し手は、わざわざ「このThe New York Timesというのは新聞社のことではなく、新聞紙のことですよ」というようなことは言わなくても聞き手は間違いなく解釈してくれるだろうと思い、他方、聞き手は文脈や知識を使って話し手の意図を自分なりに「推論」しているわけです。原理的には、話し手が聞き手に期待する解釈と、聞き手が個別に推論する解釈が一致するかどうかは誰も保証できません。大抵は一致している、と思いたいし、それを前提にしなければコミュニケーションの意義を見出すことはできません。しかし、誤解の可能性が常にあることによってもわかるように、聞き手は独自の解釈を施しているのです。解釈がコードに付随して伝わるのではなく、意識的であれ、無意識的であれ、聞き手は推論によって解釈を作り上げていると考えた方がいいでしょう。

コードの変換にのみ目を向け
推論の過程をおろそかにすると
通訳はできない

推論の中には、かなり意識的にするものもあれば、ほとんど無意識的にするものもあるでしょう。主語の表現されていない日本語を英語に訳そうとしたら、主語を意識的に探さねばならないでしょう。他方、上の例は、ほとんど意識しない場合と言えるでしょう。もう一つ例を挙げると、「いま何時かわかる?」と尋ねられて、「はい」とだけ答える人はいないでしょう。ほとんど無意識のうちに、これは「何時か教えて」という意味だと解釈していることでしょう。もっとも、意識的か無意識的かは程度の問題で、はっきりした境界線はないと考えた方がいいかもしれません。気が付かない内に主語を補っていることもあるでしょうし、「きょうは時計を忘れてね」と言われて、今時間を知りたいのかな、単に失敗談をしているだけなのかな、と意識的に話し手の意図を推し量ることもあるでしょう。ここで注目して欲しいことは、いずれにしても、発話の解釈には推論が働いているという点です。
 
「推論モデル」は、コミュニケーションを支えるこのような推論の働きに十分注意を払った考え方と言えるでしょう。コードは推論の基礎になりますが、コード自体が推論を運んでくると考えない方がいいでしょう。発話の解釈は聞き手が独自に組み立てるのです。通訳が人間の営みである限り、それを支えているのは推論です。通訳や翻訳というと、どうもコード変換の作業に目がいってしまいますが、推論の過程も含まれるはずです。複数の言語の知識を懸命に勉強していても、普段のこの推論が抜けていれば、うまく通訳ができないことになります。コード変換の作業は確かにあるのですが、通訳をそれだけだと考えると、「通訳ができる」という境地には立ちにくいでしょう。自然体で推論を遂行することによって本来のコミュニケーションを実感できるのです。
 

[参考文献]
スペルベル, D. & D. ウイルソン 『関連性理論』 (内田聖二他訳) 研究社出版

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[執筆者プロフィール]  1970年代初めから様々な分野の多数の会議通訳に従事。関西における日英同時通訳者の草分けの一人である。1974年大阪外国語大学ロシア語学科卒業、1979年京都大学大学院文学研究科博士課程(言語学専攻)単位取得満期退学。現在、大阪府立大学総合科学部教授。日本通訳学会副会長。日本時事英語学会副会長。近年は、同時通訳の実践的経験と言語学研究の融合を図り、科学研究費補助金を受けた「同時通訳における情報フローの認知言語学的検証」などの研究がある。
 


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