Last updated: Mar 23, 2001, June 25, 2001

『通訳・翻訳ジャーナル』 2001年5月号 (pp. 98-99)

日本通訳学会特別企画
通訳の世界を広げる
現代通詞考

第1回 なぜ通訳理論研究が必要なのか?

近藤正臣 (こんどうまさおみ)
大東文化大学教授
日本通訳学会会長
会議通訳者

ヨーロッパの通訳理論研究に刺激され
通訳理論研究会の結成から
日本通訳学会への旗揚げへ

昨年9月23日に、日本通訳学会が発足した。通訳という作業ないし専門職を多面的に研究することを促そう、通訳者の訓練方法・この訓練を活用した語学教育についても研究を促そう、そして通訳という知的・肉体的作業について、社会により良くわかってもらおうという趣旨である。まだ会員100名そこそこの小さな学会ではあるが、毎月5名くらいの新規加入者がいて、すでに『通訳研究』の第1号も出版され、とても元気な学会である。

実はこの学会には前身がある。1991年11月にできた通訳理論研究会という団体で、私もその設立を呼びかけたうちの一人であった。当時は、この研究会が10年間も続いて、しかもこの学会に発展するとは予想もしていなかった。逆に、いくら人数が減っても続けようと言っていたくらいであった。

こんな悲壮な思いにかられてもこの研究会を作らなくてはならないと思い詰めていたのはなぜか。それは、とくにヨーロッパで通訳研究がさかんに行なわれていたことを知って驚いたからだった。そして、これをほっておいては、仕事の一部でもある世界の仲間との交流も実が伴わないではないか、さらに、ここまで自分を育ててくれた通訳という仕事に多少ともお返しできるとしたら、この通訳研究を日本でも行なうことではないか、とも感じたものだった。

もちろん日本にも、通訳という作業について解説した本や記事はあり、教科書的な入門書もあった。しかしヨーロッパでは、言語学・心理学・コミュニケーション研究・脳生理学などの分野からの理論的・実証的研究がさかんに行なわれていた。仮説を立てたり、実験をしたり、データを集めて分析をしたり、さらにまた仮説を立てたりという科学的営みのが行なわれていた。通訳作業にかんする博士論文もいくつか書かれていた。「そもそも私が通訳という作業をしている時、私の頭のなかでは何が起きているのか」ということを手さぐりで考えて、整理しようとしていたら、なんのことはない、すでにヨーロッパでは「意味の理論」をめぐって多彩な論争が行なわれ、「三者二言語モデル」(←クリック)が定着していた。同時通訳のプロセスを情報の流れとして捉えて理解しようというモデルなどが提起されていたことも、分かってきた。

通訳という名人芸の
科学的な解明をめざす

当時、会議通訳という職業は大いにもてはやされ、民間の通訳学校も盛況であった。大学でコース名に「通訳」という言葉を入れると生徒が集まりすぎて困るとも言われた。しかしそれでも、この通訳理論研究会を立ち上げるための会がささやかに行なわれたとき、「通訳研究っていったい何をするのだ」という問いが発せられ、いろいろと説明をしてもわかってもらえなかったことを今でも覚えている。
 
その後、事情は変わったとは言え、今でもこれがよく理解されているとは言えまい。国語審議会の最近の答申では「通訳の重要性の高まりと通訳教育充実の必要性」という一項目が入っていて勇気づけられるが、これに対して、「研究などしていろんなことを知るとかえって通訳という作業はできなくなるのではないか」と思っている人もいる。「通訳なんて、機械的に単語を素早く置き換えているだけの、少々頭の単純な人にしかできない作業ですね」という理解が見え隠れする。
 
もちろんこれは大変な誤解・偏見で、広い背景の知識と柔軟な理解力なくして的確な通訳はできないし、正確で分かりやすい通訳ができるようになるには種々のスキルと訓練、経験が必須である。真のプロはいかに日々研鑽を重ねている。しかも、その大変な仕事を軽々とやってのけているような印象を与えるのもまた真のプロである。「あれだけ舞台で動き回るのは大変でしょうね」と言われたプロの役者は、実はあえいでいても、「いや、たいしたことありませんよ」と言う。

同時通訳者の口から出てくる日本語が自然でわかりやすければわかりやすいほど、通訳者の頭はフル回転している。自然に聞こえるような日本語を発することができるよう、もてる技能を駆使しているのである。本当に自然体でここまでできれば、これこそ真の名人であろう。こうしたことは、多分、どのプロの世界でも同じであろう。

そしてこのような領域に入ると、おそらく科学的にすべて解明されることはまずありえまい。それでも、これを極限まで分析・解明しようとして学問・科学が生まれてきた。通訳研究もこれを目指している。ヨチヨチ歩きのこの学会の課題は大きく、その役割も大きい。

母国語への通訳を原則としていた
ヨーロッパの通訳も母国語・外国語間の
双方向を訳す時代へ

その間に、通訳者の世界自体も変わりつつある。ヨーロッパではその統合と拡大が進んで、近いうちにEUの加盟国数は21になる。しかも、言語・文化の多様性を資産と考える(言語がいくつかあるのはめんどうだ、効率が下がるなどとは考えない)から通訳者養成には余念がない。しかし、15もの言語の間で通訳をしなくてはならなくなると(もちろん同時通訳―これを逐次通訳で順々にしていったらどのくらい時間がかかるか考えてみて下さい)、作業のあり方が変わってくる。
 
これまでヨーロッパでは伝統的に、外国語を聴いてそれを通訳者の母語 (第一言語)に通訳してきたし、それがよいとされている。ところが、この原則が守れなくなりつつある。たとえば英語を母語とする人(イギリス人など)がフィンランド語もトルコ語もエストニア語もギリシャ語もチェコ語もとってそれを英語にしなくてはならない。フランス語やドイツ語、イタリア語くらいならこの方式で通訳者を見つけられたが、ここまでできる通訳者を必要な数だけ集めるのは無理である。とすると、フィンランド語を母語とする通訳者が、第二言語(つまり外国語)として学んだ英語に通訳せざるをえない。そして、英語のブースから、あきらかに外国語として学習したことのわかる英語が流れてくることになる。
 
もちろんこれは、われわれ日本人の通訳者がこれまで当然のごとくにしてきたことである。into Japanese だけでなく、into English も into French もしてきた。それをヨーロッパでも認めざるをえなくなるのだ。

こうなると、これまでヨーロッパ中心でやってきた AIIC (*国際会議通訳者協会) の原則が変わるだけでなく、「意味の理論」も修正が迫られるかもしれない。この理論では、通訳者は元発現の意味を理解したら、それを(つまり意味を) 自分のことばで spontaneous に―意識せずに、自然に―表現するものとされているが、これは母語にすることを前提としているからである。そうでなくなれば、ヨーロッパでの訓練の方法も変わる。しかし同時に、非英語話者の通訳者の話す英語もこれまでより正確できちっとしたものになることが要求される。現に、日本にあるEU代表部では、その into English が使いものになる通訳者を選んでいる。辛うじて通じるような英語、baby English, high school English は受け入れられなくなってきている。

今の AIIC 会長 Jean-Pierre Allain さんは、長くマレイシアのペナンとタイのバンコックに住んでいて、日本などアジアの状況を熟知している。消費者運動にも参加し、赤ちゃんに母乳をやることを勧める運動もしている。その彼が今、AIIC 内で New Multilingualism を唱え、新しい道を模索している。彼のような経歴の持ち主が請われてAIIC会長になったこと自体、通訳世界の新時代の到来を象徴しているかに見える。
 

※ AIIC (国際会議通訳者協会):世界でもっとも大規模な会議通訳者による組織で、公的あるいは企業レベル、国内および国際舞台などのさまざまな通訳現場で豊富な経験を積んできた 80ヵ国 2,500人の会議通訳者を会員として擁する。ニュールンブルグ裁判および国連結成の際に同時通訳の重要性を痛感し、国際的な通訳者の組織の重要性が問われ、1953 年に結成された。40年以上もの長きにわたって世界のあらゆる国際協力体制の強化、とりわけ国際経済に関するコミュニケーションに大きく貢献してきた。この実績により、EU, NATO, Interpol, 世界銀行, 国連など主要国際機関から信頼と認知を受けている。AIICに関する詳しい情報は、以下のウェブサイトへ。http://www.aiic.net
 

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[執筆者プロフィール] 国際基督教大学行政大学院卒業、行政学修士。同大学学部時代に米国国務省escort interpreter として通訳を始める。現在、日本通訳学会会長。大東文化大学経済学部教授、学部で開発経済論、大学院経済学研究科で会議通訳コースを担当。AIICシニアメンバー。ILO 総会、PTTI 元会長山岸章氏付き、日米議員委員会など多様な通訳経験をもつ。主な論文・著書・翻訳書に "Japanese Interpreters in Their Socio-Cultural Context"、"Cassette Effect in Translation Words in Japanese"、「オーストラリアの多文化主義とアジア化」、『開発と自立の経済学』、Hisao Otsuka, The Spirit of Capitalism、E. A. リグリー『エネルギーと産業革命』などがある。


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