Last updated: December 10, 2002

『通訳・翻訳ジャーナル』 2002年8月号

日本通訳学会特別企画
通訳の世界を広げる
現代通詞考

第15回 これからの通訳理論研究

近藤正臣 (こんどうまさおみ)
大東文化大学教授
日本通訳学会会長
会議通訳者
 

連載の最後に、日本通訳学会の課題、それに日本通訳界の課題について触れたい。断るまでもなく、ここに記すのはすべて私見である。

1994年にフィンランドのトゥルクで通訳研究をテーマとする国際会議が開かれ、日本からは私と水野的さんが出席したことがある。もう読者には馴染みの Daniel Gile 氏―自ら通訳の現役、訓練にも積極的であり、ここ数年、もっとも業績の多い通訳学研究者である―の斡旋もあって、そこでひとつセッションを担当した (この会議の詳しい報告が、『通訳理論研究』第8号にある) 。その時にこのジルさんがまとめのセッションで、「通訳研究の課題は、more research, better research だ」と言っていたのを思い出す。そして、その後の世界の通訳研究の隆盛には目を見張る思いだ。日本にいると、ますますその課題の大きさに圧倒される。間違いなく、この海外での通訳研究の消化―批判的消化―はわれわれの課題の一つがある(連載第2回「世界の通訳研究」参照) 。

良いものはすべて海外から来ると思っているわけではないし、海外の研究の中にもつまらないものもあろう。そして日本においてもこれだけの通訳研究が行われていることを、私自身、この連載を通して知り、そこで提示される視点のたしかさに喝采を送りたいと何度も思った。もちろん、学会のジャーナル『通訳研究』には、査読を経た立派な論文が多数ある。そしてなによりも本誌全体の元気な内容こそがそれを表している。

しかし、世界の通訳研究の絶対量がここまでふえると、とても片手間の仕事では追いつかない。トゥルク会議で私の受け持ったセッションのまとめとして、「文化・言語間のコミュニケーションを生業とする通訳者は、当然のこととして(また、科学的方法論の一環としても)、各国の通訳研究を比較・対照することが必要だ」などと言っていた私が日本からたいした発信をしていないことに気づき、恥ずかしくなる。これを行うには、通訳研究に本格的に取り組むグループが日本に生まれなくてはならない。これには若い人たちの奮起を期待するしかない。たとえば、最近、これまでの通訳研究をほぼ鳥瞰するような本がでたのを、じっくりとこなしている作業がいたるところでなされているような状況を想像したい。より多くの人に、この学会に入ってもらいたい。そしてもっと研究をして、海外の仲間と学問上の「喧嘩」をしていただきたい。そしてこれを制度的に奨励し、可能になるようにすることが学会の課題である。いや、こんな大それた課題をわれわれに課すのは僣越の極みである。制度が整うのを後押しする程度であろう。

最後に、日本の通訳界の将来についても、雑感を述べさせていただきたい。僣越になるのを十分承知のうえで。まず、不況のせいもあって、仲間の通訳者は仕事が減っていると言うが、それでもやはり通訳という職種はたいへんな注目をあびている。本誌の存在がそのひとつの証左であるし、そこに盛られる豊かな情報はより確かな証である。とくに若い人たちの間で通訳を目指す、たとえば大学で「通訳」という名前をコースのどこかに入れると登録希望者数が殺到するという状況は今も変わっていない。外国語を真剣に、しかも楽しんで勉強する人たちの間では、通訳者は究極の到達点だと見られている。放送通訳はすっかり生活の一部になっているし、ボランティア通訳者も多い。草の根のレベルでの広い関心が通訳職にあるといっていい。

しかし、その通訳業界(あえて業界といおう)に問題がないのかと問えば、もちろんある。実は、将来の健全な発達を展望しようとすれば、むしろ課題は多い。

私自身、通訳という職業は他の職業となんら変わりないひとつの専門職だと思っている。専門職といったって、たいていの職業に専門的知識が必要な時代である。そして、福沢諭吉流にいえば、職業に貴賤はない。どの職業も社会の機能にとって必要なもので、自分の持ち場をちゃんと責任を持って守り通すことが必要である。通訳者も、機器のオペレーターの方たちの協力なくしてはその業務が遂行できないし、スピーカーの協力も必須である。実は、世の中に「分業」が生じたときから、事情は同じである。それでこそ、責任をもった自由な主体が協力して創る「新しい共同体」(古い「共同体」と区別して)、真の、機能する市民社会が可能になる。

そして、とくに日本では、その職業に殉じることが必要である。つまり、たとえば会社からこうやれと言われても、それが(何らかの基準に照らして)適切でなければ、それを断る勇気が要る。それが、身近な小さい集団(cronies!) をこえたものに対する忠誠心、つまり専門職に対する忠誠心である。その職業の倫理と言い換えてもいい。上に言う「何らかの基準」はまさにこの職業の倫理である。これがなければ、ますます日本社会はスキャンダルに見舞われるばかりであろう。

少し前に、本学会での行事として、AIIC(国際会議通訳者協会)会長の Jean-Pierre Allain さんが仕事で来日するのを捕まえて、講演をお願いしたことがある (彼はバンコク在住で、AIIC アジア太平洋地域の仲間である) 。そうしたら彼は、なんと「通訳者の倫理」という話題を選んだ(その内容は『通訳研究』第1号 (2001) にある)。その後この講演は、AIIC の公式ウエブサイトにも転載されている。彼は、文化を横断した、職業としての会議通訳の倫理がある、そして 21 世紀にはこれが極めて重要になる、と論じる。会議通訳者の世界の団体(の指導者)が倫理の重要性を訴えているのである。

通訳者の職業上の倫理には、職業上知りえた情報を外に漏らしたり自分の利益のために利用してはならない、できないことは引き受けない、同僚同士は協力する、職業の名声を汚さない、正当な報酬を得ることなどが挙げられようが、まずもって良質な、専門的な通訳サービスを提供することが肝要であろう。つまり、もっといい通訳を日々の会議の場ですることである。「どうも通訳者の喋っている日本語は分からない」などという反応は減らなくてはならない。社会的に有用な一つの職種としての通訳業があると考えると、その提供するサービスの質を改善する努力が必要になり、さらには一定の質を保証する制度的な枠組みを持たなくてはならない。私たちはこれをしているだろうか。 

日本ではこれまで、通訳サービスの品質管理を主としていわゆるエージェントが行ってきた。エージェントは、自分のところから派遣する通訳者が下手では次に仕事が来ないから、よい通訳者を送ろうとし、一定の格付けも行ってきた。「あなたはAクラスですよ」と。実際にこれが機能してきたから今日まできている。エージェントは通訳者の味方である場合もおおい(日本ではこのエージェントの役割が大切であったし、ヨーロッパでも、PCO = Professional Congress Organizer という名前でこの役割が高まっている) 。

それにもかかわらず、やはり通訳者全体の職能団体は必要だと思う。エージェントにもがんばっていただき、共存すればいい。AIIC には資格審査委員会、訓練委員会などのほか、懲罰委員会もある。たとえば大規模な調査などもここで行っている。こうした経験からも学んで、21世紀にふさわしい専門職を築き上げていきたいものである。それができてこそ、若い人たちがこの大変な職業を安心して目指せるようになる。
 

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[執筆者プロフィール] 国際基督教大学行政大学院卒業、行政学修士。同大学学部時代に米国国務省 escort interpreter として通訳を始める。現在、日本通訳学会会長。大東文化大学経済学部教授、学部で開発経済論、大学院経済学研究科で会議通訳コースを担当。AIICシニアメンバー。ILO 総会、PTTI 元会長山岸章氏付き、日米議員委員会など多様な通訳経験をもつ。主な論文・著書・翻訳書に "Japanese Interpreters in Their Socio-Cultural Context"、"Cassette Effect in Translation Words in Japanese"、「オーストラリアの多文化主義とアジア化」、『開発と自立の経済学』、Hisao Otsuka, The Spirit of Capitalism、E. A. リグリー『エネルギーと産業革命』などがある。
 


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