Last updated: Mar 23, 2000: June 25, 2001

『通訳・翻訳ジャーナル』 2001年6月号 (pp. 94-95)

日本通訳学会特別企画
通訳の世界を広げる
現代通詞考

第2回 世界の通訳研究

水野 的 (みずのあきら)
放送通訳者・日本通訳学会理事

はじめに
現在通訳研究は、ヨーロッパだけでなく、北米、南米、オーストラリア、韓国、中国、台湾、南アフリカ、そしてもちろん日本など、ほとんど世界の各地域で行われている。この稿は「世界の通訳研究」と題してはいるが、紙幅の関係と筆者の力量不足のため内容まで踏み込んだ網羅的な紹介はできない。そこで今回は世界の通訳研究の大きな流れと最近の特徴的な研究、研究のためのリソースを紹介することで責めを塞ぐことにしたい。(1997年時点での研究の紹介は、水野「ヨーロッパの最新通訳理論」(『言語』1997年8月号)を参照してください。)

1982年に筆者は國弘正雄さんと鳥飼玖美子さんが書いた『英語で何をやる?』(日本英語教育協会)という本に出会った。通訳研究という領域に踏み出すきっかけになったのは、この本を読んで「同時通訳はなぜできるんだろう」「同時通訳者の頭の中はどうなっているんだろう」という疑問を抱いたことだった。しかし国会図書館に行ったり海外から文献を取り寄せよせようとしたものの、通訳研究の文献はほとんど見つからなかった。それもそのはずで、当時は海外の通訳研究自体が停滞期だったのだ。ヨーロッパで通訳研究が本格化するのは比較的最近、1980年代の後半になってからのことだ。この時期は「通訳研究のルネサンス」といわれており、中でも1986年にトリエステで行われた通訳教育シンポジウムが大きな転回点になったとされる。1994年にはフィンランドのトゥルクで通訳研究のみをテーマとした国際会議が開かれた。近年は毎年何回かは通訳に関する会議やセミナーなどが行われるようになっている。2002年に開催される第13回国際応用言語学会世界大会でも「通訳・翻訳」が 47 の分野の1つに選ばれている。

だれが研究をしているのか
現在通訳研究を中心的に担っているのは、ヨーロッパでは50年以上の歴史を持つジュネーブ大学、ウィーン大学、ベルリン自由大学、フランスの ESIT と ISIT、イタリアのトリエステ大学、スカンジナビア諸国ではトゥルク大学を始めとする各大学、スペインのボローニャ大学、イスラエルのバーイラン大学とテルアビブ大学、などである。北米ではオタワ大学が有力だ。最近では旧中東欧諸国、ロシアでの研究も活発になってきている。南米もブラジルを中心に研究者がいる。台湾は輔仁大学と国立台湾師範大が中心である。通訳研究をしているのは、通訳者であり同時に大学などで通訳教育に携わっている研究者が多い。日本でもそうなりつつあるようだ。もちろん他分野の研究者で通訳研究を行っている人もいる。古くは Goldman-Eisler による言語心理学的研究、David Gerver や Sylvie Lambert といった認知心理学者による研究があるし、脳生理学の専門家による研究もある。海外では通訳研究者と他分野の研究者が一堂に会した会議も行われるようになってきており、集学的研究が芽生えつつある。

何を研究しているのか
通訳研究で扱うテーマは幅広い。会議通訳はもとより、コミュニティ通訳、法廷(司法)通訳、手話通訳、メディア通訳(放送通訳)、遠隔通訳、自動通訳(機械通訳)研究と、ほとんどの分野が研究対象になっており、テーマも通訳の内部プロセスや通訳者の言語理解と記憶、言語の組合せの影響、通訳における<方略>、言語学的概念の応用(談話理解、テキストタイプ、結束性と結束構造、メンタル・スペースなど)、通訳の際の優位耳、処理の深さの仮説の検討、リスニング=シャドゥイング=同時通訳における理解の比較、適性検査とスクリーニング、エラー分析、同時通訳における予測、聴衆による通訳評価、通訳の評価基準、会議通訳者教育におけるサイトトランスレーションの役割、シャドゥイング論争、異文化間媒介者としての通訳者、背景知識の役割、通訳者の倫理、同時通訳についての社会的規範、認知科学や言語学を使った集学的通訳研究の制約とリスク、通訳者のためのマルチメディア利用法など、実に多彩だ。こうした研究の中には、たとえば通訳教育にシャドウイングをどう利用したらいいかとか、同時通訳の導入はいつどのようにするのがいいか、逐次通訳ノートはどう取るのがいいか、といった具体的な問題に直接応用できるものもある。

最近の研究から
通訳研究の中心に位置するのは、やはり通訳(特に同時通訳)の内部プロセスの解明をめざす理論的な研究だろう。最近の成果としては Robin Setton の通訳理論 Simultaneous Interpretation がある。これは関連性理論やメンタルモデル理論などを理論的源泉とする語用論的同時通訳理論である。また最近、Alan Baddeleyをはじめとする認知科学者、言語心理学者、神経言語学者、通訳研究者による会議の記録 Language Processing and Simultaneous Interpreting や think-aloud protocol (TAP) という方法論の通訳研究への応用を論じた論文集 Tapping and Mapping the Processes of Translation and Interpreting も出版されている。

数は少ないものの、通訳者の眼球運動や瞳孔、心拍と血圧、脳波などの生理的指標を測定し記録する研究も行われている。最近の注目すべき研究としてはトゥルク大学で Jorma Tommola が行っている共同研究がある。これは母語から外国語へ、外国語から母語への双方向の同時通訳とシャドウイングの際の脳血流をPETで画像化するというものだ。この研究の実際のカラー画像の一部はインターネットで見ることができる。人間の通訳と機械翻訳の接点を扱ったものとしては Christa Hauenschild & Susanne Heizmann (1997) Machine Translation and Translation Theory (Mouton de Gruyter) がある。これも他分野の研究者との協力に向かう動きを示すものだ。

通訳の歴史研究では征服者や開拓者に同行した通訳者の運命を描いた Frances Karttunen の Between Worlds: Interpreters, Guides, and Survivors と初の本格的会議通訳と言われるニュルンベルク裁判の全容を解明した Francesca Gaiba の The Origins of Simultaneous Interpretation: The Nuremberg Trial が最近の大きな成果だろう。雑誌 Interpretig の最新号も通訳の歴史を特集している。日本でも東京裁判の実態を研究した渡部富栄「東京裁判の通訳研究」(修士論文)がある。また、遣隋使や遣唐使、渤海国や新羅との接触の際の通訳、朝廷による通訳者養成、円仁の外国語能力と通訳などの問題を論じた、湯沢質幸『古代日本人と外国語:源氏・道真・円仁・通訳・渤海・大学寮』(勉誠出版)が出版された。これは古代と中世日本の通訳史の空白を埋める重要な著作だ。

研究のためのリソース
通訳研究専門誌 Interpreters' Newsletter (1988-) や Interpreting (1996-) が創刊され、通訳研究は独立した学問分野として確立されつつあると言っていいだろう。(ちなみに日本通訳学会の前身「通訳理論研究会」が発行していた『通訳理論研究』は、通訳研究専門誌としては世界で2番目のものだった。)この他、TargetMeta, The Translator, Babel, Perspective などの翻訳研究を中心とした雑誌にも随時通訳研究の論文が掲載される。Target, Meta, The Translator  も会議通訳あるいは通訳研究特集号がある。なお、Interpreters’ Newsletter Meta には日本の通訳特集号があり、近藤正臣、西山千、野原道弘などの諸氏が執筆している。また年2回発行される翻訳研究の文献情報誌 Translation Studies Abstracts には通訳研究に関連した論文が「通訳研究」「会議通訳・同時通訳」「コミュニティ通訳」「法廷通訳」「手話通訳」「翻訳・通訳歴史研究」「翻訳・通訳訓練」「通訳プロセス研究」「コーパス研究」などに分類されて紹介されている。

単行本については年刊の Bibliography of Translation Studies があり、やはり通訳研究の項目が設けられている。このほか、欠かせないのがインターネット上で提供されている The IRN Bulletin だ。これは有名な研究者である Daniel Gile が個人で作っている通訳研究文献目録で、年2回発行されている。この Bulletin の特徴は、世界中の通訳研究者のネットワークを通じて文献を集め、通訳研究の最新の動向を紹介していることだ。日本からもこれはと思うような論文や研究を送っている。ここでは上記の Translation Studies AbstractsBibliography of Translation Studies には取り上げられていない修士論文や博士論文の情報も掲載されている。

通訳研究の書籍の出版ではアムステルダムの John Benjamins Publishing Company が Benjamins Translation Library というシリーズを出し続け、精力的に出版活動をしている。イギリスの St. Jerome Publishing は Translation and Interpreting Series を刊行し、さらに販売網を持たない版元の通訳・翻訳出版物の委託販売もしている。研究者にとってはありがたい存在だ。

おわりに
通訳研究はまだ未開拓の部分が多く、多くの研究者を必要としている。一人でも多くの研究者がこの研究コミュニティに加わってほしい。また、多様性に富む通訳という現象を解明するためには、翻訳研究やコミュニケーション研究、言語学、言語心理学、認知科学、脳科学、記号論、社会学、人類学などの知見を動員する集学的研究が望まれる。そのためにも隣接する分野の研究者の参加にも期待したい。


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[執筆者プロフィール] 東京外国語大学外国語学部ポルトガル語学科卒業。インタースクールで通訳を学び、現在 NHK 放送通訳者として活躍中。日本通訳学会事務局長。大東文化大学大学院非常勤講師(経済通訳論)のほか、NHK 国際研修室やインタースクールなどでも講師を務める。著書に『放送通訳の世界』(共著)、『英語リスニング・クリニック』(共著)があり、通訳に関する論文も多数。
 


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