Last updated: May 20, 2001; May 28, 2001

『通訳・翻訳ジャーナル』 2001年8月号 (pp. 98-99)

日本通訳学会特別企画
通訳の世界を広げる
現代通詞考

第4回 通訳教育のあり方 ― 何を教えるか、何を学ぶか (1/2)

染谷 泰正 (そめや やすまさ)
日本通訳学会理事

はじめに

私が担当している通訳クラスでは、毎学期の授業を始めるに当たって、1) 通訳者にはどのような知識や能力、あるいはスキルが必要で、2) それを獲得するためにはどのような勉強や訓練をしていったらいいのか、という話をします。まず、目標を設定し、その実現に向けて具体的な行動計画をたてるわけです。授業のようなわけにはいきませんが、この原稿では、まず前半でその話の概要をごく簡単にまとめておきます。後半部では、通訳訓練の実際について具体的な例を挙げて解説します。なお、紙面の都合で後半部は次号に掲載します。

通訳訓練の3D モデル
 
通訳というのは異言語間コミュニケーションの仲立ちをする仕事ですから、通訳者に必要な能力としてまず最初に挙げなければならないのはなんと言っても「語学力」(linguistic competence) ということになります。ただし、語学力だけではどうにもなりません。普通、通訳を必要とするほどの場面では、それなりに専門的な話題が取り上げられます。その内容を正しく理解し、かつこれを必要に応じて整理しながらわかりやすく伝えるためには、通訳者の側に一定レベル以上の「知識ベース」(knowledge base) がなければいけないわけです。ある程度の語学力(K)と知識ベース(L) が備わっていること――これが通訳者としての必要最低条件であることは異論のないところだろうと思います。

右の図はこのふたつの能力の相関としての「通訳可能性」(interpreting potential=IP) を示しています。LとKが伸びるにしたがって通訳力(またはその可能性)も高くなるというわけです [1]。縦軸と横軸の数字はそれぞれ語学力および知識ベースのレベルを示します。数字が多いほどレベルが高いというわけです。L軸については、レベル2が一般に日本の通訳者養成機関が入学の最低基準としている英検準1級または TOEIC 800点前後以上のレベルを指し、レベル1はそれに満たないものを、レベル3 は "near-native" レベルをそれぞれ想定しています。レベル1の領域のIPを示す線が点線になっているのは、このレベルではどうやっても実質的な通訳訓練にはならないことを示しています。そもそも通訳訓練を始めるために必要な最低限のレベルに達していないわけです。

ところで、ある程度の「語学力」と「知識ベース」があれば誰にでもそれに応じた「通訳」ができるとしても、これだけではただ単に「外国語に堪能で物知り」というだけのことにすぎません。専門職としての通訳という観点からすれば、必要最低条件としてのLとKのほかに、通訳者に固有の技術体系やノウハウといったものがなければいけません。これを仮に「通訳技能」(interpretation skills = S) と呼ぶとすると、K軸とL軸のほかに、もうひとつS軸を加えた3次元モデルが出来上がります。これが前記の「通訳訓練の 3D モデル」というわけです。このモデルは、可能性としての通訳力 (IP) はLとKの総和にSを乗じたものであることを示しています。つまり、S の次元が加わることで、LとKはそれぞれの単純総和以上の奥行きと広がりを持つことができるというわけです。公式風に表せば IP=(L+K)S となりますが、いずれにせよこの3つの要素が通訳訓練のターゲットということになります。

通訳訓練の前提となる「語学力」のレベル
 
この3つの要素のうち、まず「語学力」については必要なレベルというのははっきりしています[2]。簡単に言えば、要するに限りなく "near-native" に近い力が必要なわけです。ここでは "near-native" の定義については詳しく述べませんが、少なくとも受信語彙1万語以上で、TIMEや Newsweek の平均的な英文を140 wpm (words per minute) 程度のスピードで安定して読むことができ、かつCNNなどのニュース放送を特に大きな困難なく聞き取ることができるという程度のことは達成できていないといけません(詳しくは染谷1995参照)。上図のL軸では3の領域がこのレベルに相当します。通訳訓練を「通訳訓練」として効果的に行うためには、入学前にまずこのレベルの下限に相当する程度の語学力(とくに語彙力と聴解力)を各人の責任において身に付けておいてもらいたいというのが、教える側の偽らざる本音と言っていいと思います。ただし、通訳訓練の手法のうちのいくつかは(全部ではない)語学力強化のための手段としても有効であり、教える側・教わる側双方ともにそれと明確に割り切って行うのであれば特に問題はありません(染谷1994, 1996参照)。この場合には、もちろん near-native の語学力というのは前提ではなく、目標になるわけです。

通訳者に必要な「知識ベース」

次に「知識ベース」ですが、これは発話内容の理解とその適切な解釈のために必要な「背景知識」と言い換えても同じことです。ただし、ひとくちに背景知識と言ってもいろいろなものがあります。ここではとりあえず Hedge (1985) にしたがって一般知識 (general knowledge = GK)、文化的知識 (cultural knowledge = CK)、および特定分野別知識 (subject-specific knowledge = SSK) の3つに分けて考えてみます。このうち GKはいわゆる常識を含めたものですが、被訓練者が成人として通常期待されるレベルの一般知識を備えていることは訓練開始に当たっての暗黙の前提となっているわけで、普通、これは訓練の対象とは考えません。CKは重要です。異言語コミュニケーションは当然、異文化コミュニケーションでもあるわけですから、その仲立ちをする通訳者は、bi-lingual であるだけでなく bi-cultural でもある(またはそれに限りなく近いレベルにある)というのが理想的な姿です[3]。ただし、いわゆる異文化理解教育を通訳訓練の一環として考えるべきかどうかは難しいところです。私の考えでは、通訳訓練の場でやるべきことは、個別文化についてのあれやこれやの知識を増やすということではなく、まず第1に異文化(ディス)コミュニケーションの問題について意識を高めること、第2にさまざまな文化的諸問題に対処するための基本的な戦略と戦術を「通訳スキル」のひとつとして習得することの2点だろうと思います。これは、通訳訓練に当たって文化的な問題が特にハイライトされるようなテクストを使うことで、ある程度達成することができます。
 
したがって、K軸については3つ目の SSK の習得というのが中心的な課題ということになります。具体的には、政治、経済、社会、環境、科学技術などの諸分野(およびその下位分野)にかかわる知識です。前述のとおり、通訳というのは普通はいずれかの専門分野にかかわるディスコースを対象にする作業ですから、仮にL軸が3のレベルにあっても、K軸(のSSK分野)が0とか1のレベルということでは、通訳どころかその内容を理解することさえおぼつかないわけです。ただし、通訳者はそれぞれの分野について専門家なる必要はありませんので、この知識はいわば「準専門知識」とでも呼ぶべきレベルのものということになります。これは、たとえば新聞や時事雑誌の経済欄や政治欄、あるいは環境問題についての特集記事などに代表されるレベルの知識内容と考えていいわけですが、一般に、通訳クラスの生徒さんたちの一番の問題は、この「準専門知識」が決定的に不足していることだと言っていいと思います。これはほとんど例外がありません。したがって通訳クラスの授業は、一方で後述の各種「通訳スキル」の習得を目指しながら、もう一方で、そのスキルを有効に活用するためのベースとなる準専門知識をできる限り多くの分野にわたって強化していくというふたつのことを具体的な目標として組み立てるということになります。L軸の強化は、あくまでもその副産物として達成されるものという位置付けです。なお、あるジャンルのディスコースは、その分野に特有の語彙によって最もよく特徴付けられます。したがって、SSKの習得は最終的には各分野ごとの専門語彙の習得という問題に集約することができます。語彙の増強法および語彙獲得の基本的なメカニズムについては別のところ(染谷1991)で詳しく述べてありますのでここでは繰り返しませんが、基本は毎日の継続的なリーディングということになります。このリーディングを通じて各分野ごとの基本的な背景知識を仕入れ、これを「スキーマ」とか「スクリプト」と呼ばれるような形に構造化していくわけです[4]。ただし、SSKの習得はそれ自体が目的というわけではありませんので、結局のところ通訳訓練はS軸――つまり「通訳スキル」の習得を中心に展開していくというのが本来の姿だろうと思います。次回は、この点について理論的な背景も少し交えながら、具体的な例を挙げて解説します。

>> Go to Part 2



[1]  ちなみに、前回の船山氏の原稿で紹介されていた「コードモデル」というのは要するにこのうちL軸に偏った通訳スタイルを指し、「推論モデル」はK軸に偏った通訳スタイルを指すというふうに考えてよい。前者をボトムアップ型、後者をトップダウン型の情報処理モデルということもある。もちろん、通訳という作業は、そのほかの対人コミュニケーションがそうであるように、実際には常にこのふたつの軸の間を行き来しながら行われていくものである。ただし、一般にL軸が未発達な学習者はトップダウン型の情報処理への移行ができないことが多い。[back]
[2]  通訳では「語学力」というのは少なくとも第1言語(自分が普段使っている言語)と第2言語(外国語として学習した言語)のふたつについて言うわけだが、ここではとりあえず後者についてのみ述べる。[back]
[3]  なお、通訳に当たって通訳者が「異文化仲介者」の役割をすべきかどうか、あるいはどこまでその役割を果たすのがよいのか、という問題があるが、ここではこの点については立ち入らない。詳しくは鳥飼(2001) および 相澤 (1997) を参照されたい。[back]
[4]  スキーマ理論については詳しくは Brown and Yule (1983) 参照。[back]


[参考文献]
Brown, G. and Yule, G. (1983), Discourse Analysis. Cambridge: Cambridge University Press.
Hedge, T. (1985), Using Readers in Language Teaching. London: Macmillian.
相澤啓一 (1997)「異文化コミュニケーションにおける通訳者」『言語』(pp. 67-75), 大修館書店.
鳥飼玖美子 (2001)『歴史をかえた誤訳』 新潮OH!文庫 新潮社
染谷泰正 (1991)「Newsweek攻略ワードパワー作戦―3000語を増強するために今始めること」『Newsweek攻略本'92』 (pp. 64-73), バベル
染谷泰正 (1994)「英語通訳訓練法入門セミナー」『通訳事典’94』 (pp. 101-149), アルク
染谷泰正 (1995)「日本における通訳者訓練の問題点と通訳訓練に必要な語学力の基準」『通訳理論研究』第 6巻1号 (pp. 46-58), 通訳理論研究会
染谷泰正 (1996)「通訳訓練手法とその一般語学学習への応用について」『通訳理論研究』 第6巻2号 (pp. 27-44), 通訳理論研究会
 


Back to Index Page