Last updated: June 22, 2001

『通訳・翻訳ジャーナル』 2001年9月号 (pp. 90-91)

日本通訳学会特別企画
通訳の世界を広げる
現代通詞考

第5回 通訳教育のあり方 ― 何を教えるか、何を学ぶか (2/2)

染谷 泰正 (そめや やすまさ)
日本通訳学会理事

前回は「通訳訓練の3D モデル」を紹介し、このうちの「語学力 (L)」と「知識ベース (K)」について簡単に説明しました。L とK は通訳のための必要条件ではあっても、十分条件というわけではなく、結局のところ、通訳訓練はこのモデルのうちのS軸、つまり各種<通訳スキル>の習得を中心に展開していくのが本来の姿ではないか、というのが前回の原稿の要旨でした。となると、<通訳スキル>とは具体的にどのようなものを指すのかということが問題になってくるわけですが、ここではこの点について体系的な解説をする代わりに、教室での<通訳スキル>の指導に関して具体例を挙げながら若干の提言をしてみたいと思います。

「通訳スキル」の訓練 ― 何を教えるか

通例、通訳クラスの典型的な授業は、その日の教材をまず初見で各自個別練習し、次にクラスの中から誰か適当な者を指名して通訳させ、これに対して教師が適宜コメントを加えるという形で進行していきます。「通訳教育」という観点からすると、この中で最も重要なのは教師がどのようなコメントを加えるかという点だろうと思います。例えば、次のようなテクストを使ってパラグラフ単位の逐次通訳演習をするとします(コンピュータウイルス問題に関するスピーチの冒頭部分からの引用。この段階でスピーチの主題はすでに提示されている)。これに対して、生徒が以下の [訳例] に示したような訳をしたとします。教師はこれをどのように評価し、どのようなコメントを与えればいいでしょうか。
 

* 課題文は 「英語通訳訓練法入門セミナー」演習10 (『通訳事典’94』(pp. 100-149) アルク)より引用(一部改変)
 

おそらく、「ポイントは押さえているが、訳し洩れが多い。できるだけ原文に忠実に、正確な訳を心がけるように」といったコメントを与えるのではないかと思われます。確かに、この訳では原文にあるいくつかの要素が表面上は訳出されていません。しかし、仮にこれらの部分もきちんと訳出し、原文の表層構造にごく忠実な訳をしたとします。すると、今度は「無駄な言葉が多すぎる。もっと簡潔な訳にするように」といったコメントをするのではないでしょうか。あるときには「正確さ」や「忠実性」を要求し、別のときには「簡潔さ」を要求するというのでは、生徒のほうも困ってしまいます。

言うまでもなく、通訳というのは実際にはさまざまな訳し方が可能であって、最終的な訳の形は、第1義的には通訳者が通訳に当たってどのような基本方針で臨んだかの反映です。したがって、通訳練習に当たっては、まず訳出のための基本方針をあらかじめ決めておく必要があります。結果としての訳は、その基本方針に照らして評価されるべきものです。しかし、実際には、このような訳出の基本方針を設定しないまま通訳演習をさせ、教師は、出てきた訳にその場限りの思い付きでコメントを加えていくだけという例が少なくありません。

<通訳スキル>というのは、要するにその基本方針を具体的に実現するための方略およびその体系のことを指します。訳出方針が異なれば使用すべき方略も違ってきます。仮に、前記のテクストに対して「できるだけ簡潔な訳の生成」を基本方針として通訳練習に臨むとすれば、指導すべきなのはその「簡潔さ」を具体的に実現するための各種技法ということになります。また、当然のこととして、「簡潔さ」の実現にかかわる制約条件のひとつとしての「情報価値の等価性」という問題についても言及する必要があります。個々の生徒の訳文には、こうした点についての各人の理解度やスキル習熟度が直接的に反映されています。教師は、こうした観点から生徒の訳文を分析・評価し、必要な指導を与えていくべきだろうと思います。

「訳例」の分析 ― 何をどう分析し評価するか

参考までに、上記の [訳例] をごく簡単に分析してみます。まず、この訳は前記のような「簡潔さ」を基本方針として作成されたものとします。次に、これを実現するための方略として、例えば「表層構造からの脱却」と「経済性の原則」の2点を具体的な指導目標として設定したとします。前者は、要するに個々の語彙や構文といった言語形式 (linguistic form) にとらわれず、それが全体として伝えようとしている「意味」(meaning) あるいは「伝達意図」 (communicative intention) に注目するという意味です。後者は、一般に、ある現象や行為について最小のコストで最大の効果を得ることを指します。通訳について言えば、同じ事態や概念を伝えるのに最小の語数を使って伝達目的を達成すること、と言い換えることができます(注1)。
 
一般に、言語情報は (1) メッセージの中身(=命題要素)と、これを全体として一貫性のあるテクストとしてまとめたり文要素間の関係を明示したりするための (2) テクスト構成的要素の2つから成り立っています(注2)。上記の原文では、First, Then, And finally および We should remember という4つの標識が (2) の機能を果たしています。訳文にはこれが適切に反映されており、簡潔さという基準から見てもこの点についてはまず申し分のない訳になっています。

次に命題要素について見ると、訳文では原文第1文の the history and development of this strange new problem. の部分を「この問題の歴史」と簡略化しています。前半部で「同一・類似概念の統合」という方略 (history and development → history)を、後半部では「主要部の抽出」(this strange new problem → problem)という方略をそれぞれ使い、全体として DISCUSS (<∅>, history_of_this_problem) という形で全体を要約しているわけです。[ノート例] もこの命題表象の形式を近似的に写像したものになっていることがわかります(注3)。

第2文では、この文の主題部である a few examples of specific viruses の of 以下がいわゆる旧情報であり、新情報の a few examples だけを訳出すればよいこと、およびその後の causing 以下もすでに先行文脈で含意されていることから、全体として GIVE (<∅>, <∅>, examples (of viruses) =>「いくつか(ウイルスの)例を挙げる」という形に簡素化しています。要するに、ここでは <話者が>, <聞き手に対して>, <問題を起こしている(コンピュータウイルスの)> という情報は文脈から容易に回復できる情報であって、「できるだけ簡潔に」という基準に照らせば、わざわざ明示化する必要がない情報ということになります。

さらに、この第1文と第2文は「関連命題の統合」という方略に基づいて、訳文では最終的にひとつの文として提示されています。なお、第4文の We should remember =>「なお」 という変換は、テキスト構成的機能における「情報価値の等価性」という観点から正当化することができ、その後のthat節の処理については原文の情報価値を損ねない範囲での「簡潔さ」の実現という観点から十分に正当化できる訳となっています。

以上のことから、この[訳例]は、全体として「できるだけ簡潔な訳の生成」という作業目標を十分に達成している訳であり、「簡潔さ」を実現するための方略としての「表層構造からの脱却」と「経済性の原則」(およびその下位スキル項目)についても高い習熟度を示している、という評価になります。筆者の考える「通訳スキルの指導」とは、およそこのような内容のものということになります。
 

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注1)なお、「経済性の原則」の下位項目として、「情報の圧縮」や「削除、一般化、選別、再構成」といった最終的な心的表象の形成にかかわる一連の「マクロルール」が提案されている。詳しくは van Dijk and Kintsch (1983, 1985) 参照。
注2)このほかに重要な要素として「モダリティー」があるが、ここでは取り上げない。
注3)言語情報の「理解」および命題の「意味表象」のモデルについては山内・春木 (2001)および大津 (1995) 参照。このほか、やや専門的になるが安部他 (1994) も参照されたい。

[参考文献]
van Dijk, T.A. and W. Kintsch (1983), Strategies of discourse comprehension. New York: Academic Press.
van Dijk, T.A. and W. Kintsch (1985), “Cognitive psychology and discourse: Recalling and summarizing stories.” In H. Singer and R. B. Ruddell (eds.), Theoretical Models and Process of Reading (3rd ed., pp.794-812). Newark, DE: International Reading Association.
山内光哉・春木豊 (2001) 『グラフィック学習心理学:行動と認知』 サイエンス社
大津由紀雄編 (1995) 『認知心理学3:言語』 東京大学出版会
安部純一他 (1994) 『人間の言語情報処理:言語理解の認知科学』 サイエンス社

[執筆者プロフィール] 省略

この原稿では言及できませんでしたが、同じテクストの同時通訳例(←クリック)も参考までに掲載しておきます。
 


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